視覚障害者の社会参画について考える

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zoom RSS 佐村河内守氏の聴覚障害偽装疑惑その功罪

<<   作成日時 : 2014/03/15 10:33   >>

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 ゴーストライター騒動と聴覚障害偽装疑惑で騒がれている佐村河内守氏の功罪について私の考えとして少しずつ書いてゆきたい。

 そちオリンピックと重なるように新垣氏の告白から始まった一連の騒動は、佐村河内氏の謝罪にもなっていない会見で、さらに聴覚障害者だけでなく、聴覚以外の障害者や、その家族までを不愉快な思いにした。

 佐村河内氏の会見では、「世間をお騒がせしたことを、お詫びします。」と頭を下げていましたが障害者に対する謝罪は、一切なかったように思う。
 現在の聴覚は、重度の障害には該当しないという診断書を開示し、
障碍者手帳を返上したとしているが、「3年前までは聴こえていなかった」という主張は変えていない。私が、彼の聴力があるのかないのか判断することも断言することも、できませんが、ただ一つ言えることは、彼は、障害(ハンディきゃッぷ)を持つということがどんなことか分かっていないということは明らかではないでしょうか。
 もし“聴こえない(○○できない、○○しにくい)”という現実を通り抜けてきた者であれば、まずは、同様の障害を持つ同胞への謝罪を何よりも優先するはずではなかろうか。しかし、彼にはそのような意思はなさそうである。

 聴こえにくい症状があった時期があったにしても、聴覚障害であることを前面に出して作曲家(これは完全なウソダト認めたようですが、)として世に出た以上“障害を売り物にした。”と批難されることは免れないことでしょう。
 聴覚障害を持たれている方には、彼を尊敬し、誇りに思っていた人もいたかもしれない、しかし、それは完全に裏切られた。虚構と虚勢を張って自らの保身のみに固執する姿は、見苦しいとしか言えない。

 さらに、佐村河内氏は、新垣氏の「彼(佐村河内氏)の耳が聴こえていないと感じたことがない。」と発言したことに猛反発し、「名誉棄損で訴える。」と言っていました。いまさら何の名誉を回復するのかわかりませんが、この泥仕合の行方はどうでもいいことです。ただし、このやり取りで誰も触れていないようですが、重度障碍者であっても外見や所作にそれを感じさせない人や、そのようにふるまうように努力している人もいるのです。
 新垣氏のこの発言には、彼の意識の根底にも障碍者への偏見が含まれているのではないかと勘繰ってしまうのは、私だけでしょうか。
このことについては、別のスレで[みたねにはわかりにくい障碍者]として書くことにしたいと思います。

この騒動と疑惑で最も危惧することは、障碍者が障碍者であることを、前面に押し出して社会参画することを躊躇してしまったり、障害を乗り越えて何事かを成した人を眉唾物とみられてしまったりする風潮が蔓延してしまうことなのではないでしょうか。

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