視覚障害者の社会参画について考える

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zoom RSS 見た目では判りにくい障碍者

<<   作成日時 : 2014/03/19 11:33   >>

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 全聾偽装疑惑のゴーストライター騒動の発端となった新垣氏の会見は、勇気ある正直な対応と評価している論評も多い。
 しかし、その会見の中で一つだけ気になる発言があった。
 、新垣氏の「彼(佐村河内氏)の耳が聴こえていないと感じたことがない。」と言う発言である。佐村河内氏の耳がどの程度聴こえていなかったかは別として(この時点では、聴覚障害偽装はまだ疑惑という状態。)、重度障碍者であっても外見や所作にそれを感じさせない人や、そのようにふるまうように努力している人もいるのです。
 現に、佐村河内氏、は告白会見を受けて開催された謝罪??会見でこの発言について名誉棄損で訴えると発言している。これが、彼自身の考えか、取り巻きの弁護士の入れ知恵なのかはわかりませんが、うまい所を突いてきたとある意味感心させられました。
 おそらく読唇術を体得したなどと主張するのでしょうか、謝罪?会見でも手話通訳者を配置して万全の態勢?で臨んでいましたがいたるところで墓穴を掘っていたように感じたのは私だけでしょうか。
記者会見という複雑な言葉のやり取りを乗り切れる手話や、読唇術を身に着けるには、相当の努力が必要でしょう。そうした努力ができる人が、ゴーストライターを立てて大成を成そうとするのでしょうか.逆に言えば、自らの技量を偽ることを平気で出来るものが、高度な手話や読唇術を、体得する努力ができるのであろうかということです。

 少々本題からそれてしまいました。
  視聴覚障害では、四肢欠損や運動麻痺と違い、外見や行動では、判断しにくいことが多々あります。これが、誤解を招き、障害者への無理解や偏見となってしまっています。しかし、いかなる障害を持つ者であっても、それを補うために、残された機能を最大限に使って補おうとするのです。これは、本能的な機能補填も含め各自の工夫や、補助器具や機器で補われているのです。こうして得られた日常生活が、ごく一部の不届き者の言動により、無にされてしまうことを危惧しているのです。
これが冒頭で述べたことの趣旨です。

 ここからは私自身について述べていきます。
 20歳のころ視覚障害5級の認定を受け障害者手帳を取得しました。当初は、日常生活での支障はさほど感じてはいませんでした。できないことといえば、自動車の運転や高い所の看板を読むこと、電車の中で隣の人の新聞を読むことその他いろいろ悪いことはできませんでした。(苦笑)
 30歳のころ再検査したところ、2級に該当することが判明し手帳を取り直しました(さらに数年後に1級の判定を受け、再取得)。これは、この日突然視力が落ちたというわけではありません、10年の間に徐々に見えにくくなってきたのです。視力を説明するには、ランドルと環による視力検査数値がありますが、これだけを伝えても理解できるものではありません。長年の弱視による慣れもあって予想や想定が実際の視覚を補正している場合もあります。これは、本能的機能補正(この「本能的機能補正」という言葉が、学術的もしくは、医学的に定義されているかどうかは、確認していません。)と、私は称しています。これら主観的感覚は、百人百様です。障害の程度判定には、こういった主観的要素は含まれるべきではないのです。
 この10年間には、悪意はないにしろ、弱視ということが理解されず不愉快な思いをしたことも少なくなかった。いっそ何も見えない方がどれほど楽な事かと考えることもしばしばだった。こうしたボーダーラインに置かれた障害者が最も逆境にあっているのではないかと、近頃は強く感じている。

 こうした様々な障害に含まれる特性を理解せずに、障害を持った者の行動(障害を感じさせない行動)に対して、疑惑を向けようとする者もいることは、悲しい現実です。
 5年程前の事になります。雨の日や雪の日でも、白杖をついて、息子の保育園の送り迎えをしていました。これを日頃から見ていたある園児の保護者が、「目が見えないなど嘘だ。毎日のように子供を連れて歩いている。」などと言い出したのです。(この発言に至るには、別の子ども同士のトラブルがありましたが、ここで詳細は書きません。)これには、あきれるとしか言えませんでしたが、正式に抗議を差し上げました。しかし、弁護士の書面まで出し、謝罪を拒み続けたことには、へきへきとするとしか言えませんでした。後日弁護士さんにも抗議文を差し上げましたが、こうなると救いようがありません。
 実際のところ、息子を送る時の方が息子の介助で信号など安全に渡れていました。子どもの介助で歩いているようなものです(苦笑)。
 私は、子どもが、自分の親が、盲人であることでほかの子に引け目を感じてほしくないと常々思っている。これは、自分が、父親になった時からの信念でもある。だから子どもとは、健常の父親と出来る限り差異のないように接しようとしているのである。一緒に外を歩くこともその一環にすぎない、こうしたことから、子ども自身でも、親(もしくは他人)の障害を理解しできることの限界や、何を手助けすればよいのかを判断できるようになれればよいと思っている。

 このケースでは、無知や無理解を通り越して悪意を感じさせるとしか言えませんが、しかし、誰にでも悪意はなくとも、見えないならば(または、聴こえないのならば、など)○○であるはずだ、という固定観念で決めつけてしまうこともあるのではなかろうか、しかしこれが、かえって障害者への偏見を助長しかねないこととなりかねない。また、この決めつけが、障害を持つ者の自尊心も傷つけることとなるのです。

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心地良いブログで好きになったんです♪

嫌な事ばかり続いている私にとって、流氷くりおねさんのブログはオアシスです(o゚▽゚)o

カラカラだったのに、潤いを沢山くれましたから!



それに沼からの浮上の足がかりをもらえた気がします。どれだけ感謝の言葉を並べてみても足りないですよ。



色々ありすぎてもうこの先抜け出せないと思っていたんですけど言葉で傷ついた心を癒してくれるのは、優しい言葉なのかもしれないですね…(^▽^●)



このコメントが目に止まったら少し話を聞いてもらえないでしょうか?



maki2.co@i.softbank.jp(@は小文字にしてください)



驚かせていると思うんですが流氷くりおねさんに聞いてほしいです

けれど嫌だったり迷惑でしたら削除して下さいね。
ファンになりました!(´ω`*)
2015/07/20 15:56

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